これをきっかけにして彼は、星間シンチレーションを高い時間分解能で電波サーベイ観測するために、ケンブリッジの
マラード電波天文台 (MRAO) に惑星間シンチレーションアレイ (Interplanetary Scintillation Array) と呼ばれる大規模な
電波望遠鏡アレイを建設する提案を行い、そのための補助金を得た。この計画の途中で彼の大学院生の一人だった
ジョスリン・ベルが、後に最初のパルサーと判明する電波源を初めて発見した。
パルサーの発見を報告した論文は5人の共著で、ヒューイッシュの名前が筆頭でベルが2番目だった。この業績に対するノーベル賞はライルとヒューイッシュが受賞し、ベルは共同受賞者とはならなかった。このことは議論を巻き起こし、特にヒューイッシュの同僚の天文学者
フレッド・ホイルは強く非難した。しかし大部分の人々は、この賞はライルとヒューイッシュが
電波天文学の分野全般にわたって成し遂げた業績、特にライルの
開口合成についての仕事とヒューイッシュのパルサーに関する仕事に対して贈られたものであるということを認識している。