最初の2回のポエニ戦役に於いては、ローマはカルタゴに対して勝ちを収めたものの、北アフリカに於いて、海上交易を行っていたフェニキア人が居住していたカルタゴ都市郡(現在の
チュニジアにあたる)の支配権を争っていたが故に、ローマは度重なる屈辱や敗北を味わっていた。これが「カルタゴ滅ぶべし」という言い回しに見られる様な、復讐と勝利への態度を貫くことを決めさせた。
カルタゴに対してのこの様な好戦的態度は、結果として第3回ポエニ戦役の終結に於いて、カルタゴの都市を灰燼に帰す原因となった。都市の建造物は掘り返し尽され、生き残った居住民は奴隷として売り飛ばされた。草も生えぬ様土地に塩を撒く様な(この行為の真偽は定かでは無いが)ローマの態度は、往々にして歴史家達に非難されるが、その様な言い伝えにローマの復讐の思いの程がよく表されている。