サン・マルタン (Saint Martin, Collectivity of Saint Martin) は、
カリブ海に浮かぶ
セント・マーチン島の
フランス語名で、特に
フランス領となっている島の北半分を指す。英語ではフレンチ・サイド (French Side) とも呼ばれている。対して南部の
オランダ領は
シント・マールテンと呼ばれている。サン・マルタンは、
グアドループに属していたが現在は分離して独自での海外共同体 (フランス語でcollectivit? d'outre-mer、略してCOM、フランス海外準県)である。
コロンブスの発見後、
スペインとオランダが島の争奪戦争をしていた。
1630年にフランス人とオランダ人が相次いで島にやってきて、当初は
海賊の隠れ場所として使われていた。翌年の
1631年にオランダ艦隊の、
ピーター・スタイヴサント(現
ニューヨークことオランダ領
ニューアムステルダムの最後の知事)が島の領有を主張、彼は
1644年にスペインとの島の争奪戦の時に、片足を失う重傷を負った。後にスペインは島の領有を放棄し、
セントキッツ島からフランス人入植者がやって来て、後から来たオランダ人入植者と平和的に
1648年に境界を決めるための条約を交わした。しかし、その後境界線を巡って両国は度々対立し、
1815年に
パリ条約で正式に決定するまで16回も境界は変わった。以後
砂糖の
プランテーションのため
アフリカから
奴隷が導入され繁栄するが、フランスは
1848年7月12日に島での奴隷制度を廃止した。そしてフランス領サン・マルタンは、南のオランダ領シント・マールテンと同様に
1939年に
免税港の宣言するが、深刻な不況に苦しんだ。フランス領サン・マルタンが
観光産業に注力し始めたのは
1970年代からで、
1950年代にすでに観光業を始めていたオランダ領側シント・マールテンに遅れをとっている。フランス領サン・マルタンは、
1980年代にホテル建設などの観光向けの大規模な開発を行った。行政区分としてはサン・バルテルミー島と共に
グアドループ県の一部だったが、
2003年の選挙でサン・マルタン島はサン・バルテルミー島と共にグアドループ県からの脱退がきまり、
2007年2月22日独自に海外共同体(フランス海外準県)になった。