士官 wikipedia|無料辞書
士官(しかん officer)は、各国
軍隊などの組織の
士官学校などにおいて、用兵などの初級士官教育を受けた
軍人で、
階級が
少尉以上の
武官を呼ぶ。
将校ともいう。(明治初年のofficerの邦訳は士官であったが、明治20年ごろから将校に変わった)
下士官の上となる。
自衛隊では、
3尉(3等陸尉・3等海尉・3等空尉)以上の幹部自衛官がこれに相当する。
将校と士官とは、旧日本陸海軍においては厳密に区別されていた。(本記事では広義の「士官」制度について記述する。)
なお、明治時代から大正時代にかけての日本では、
尉官に相当するものを士官と、
佐官に相当するものを上長官と呼称していた。この意味における士官については
尉官参照。日本海軍では大正8年9月22日勅令第427号により士官・上長官の区分を廃止する。本記事においては将佐官を含む用法における士官について記述する。
◆概要
士官は、当初
貴族が任命されてきたが、近代的軍隊の専門化に伴い、士官養成学校での専門的
軍事教練を経た者が任用されるようになった。一般的に士官は基本的な軍事教練を受けた後に、それぞれの専門となる
兵科について学ぶ。もっとも、兵卒から下士官への昇任は通常のことであるが、下士官から士官への昇任にはなお、困難を伴う制度を採用している国も多く、そのため本来的身分は下士官に属しながらも、特に辞令を受けて士官と同様の待遇を受ける
准士官制度が発達した。
士官は
元首を代理する者とされ、陸軍では
小隊長又は
中隊長以上の部隊の
指揮官は士官を以て充てることが通常である。また、海軍にあっては、対外的に国家を代表する
軍艦(軍艦搭載艇などの
短艇を含む。)は絶対に士官の指揮下になければならず、このことは
国連海洋法条約第29条に現れている(
軍艦参照)。
また、士官の貴族的性格の残滓は、「捕虜の待遇に関する1949年8月12日の
ジュネーヴ条約」第49条などに見られる。同条においては、第1項及び第2項で
捕虜の労働者としての使用を認めている。ところが、第3項但書においては、「将校又はこれに相当する地位の者……に対しては、いかなる場合にも、労働を強制してはならない。」と規定して、本人の志願がない限り士官に労働させる事を禁じている。
兵卒及び下士官の階級制度は、国や時代によって多様であるが、士官制度は比較的共通性が見られ、将官・佐官・尉官に大別され、各々が大中少(又は1等・2等・3等)に区分されることが多い(詳しくは
軍隊における階級呼称一覧参照。)。
士官の任用については、
陸軍士官学校や
海軍兵学校を卒業した20歳前後の者を少尉として任用する国が多い。もっとも、強度の国民皆兵制度を維持している国では、徴兵の中から選抜して士官候補者を採用する国もある。また、軍医や技術士官など特殊な士官は別途の任用がなされることが多い。
なお、
共産圏諸国においては共産党が軍隊を掌握するために政治委員を各部隊に配属して、党の利益を擁護する見地から軍事指揮官を監視していた。この政治委員を政治将校と呼ぶ場合もある(詳しくは
政治将校参照)。
◆ 自衛隊
日本の自衛隊においては士官に相当する地位の者を幹部自衛官(かんぶじえいかん)と呼称する。海上自衛隊ではその生い立ちから旧海軍譲りの士官という語を用いることも多い。例えば、士官室、当直士官、副直士官、警衛士官、甲板士官、機関室副直士官、係士官など艦内編成において多く用いる。
幹部自衛官は、陸上では
職種、海上・航空では特技に分類されるが、一般の幹部自衛官と、
医官・
歯科医官たる幹部自衛官や音楽科の幹部自衛官等で、法令上の権限等の差は設けられていない。
なお、自衛隊の前身たる
保安隊では「
幹部保安官」、
警備隊では「
幹部警備官」とそれぞれ呼称した。
◆帝国陸軍の将校(士官)
大日本帝国陸軍では、陸軍将校の階級となるのは、「大将-中将-少将-大佐-中佐-少佐-大尉-中尉-少尉」である(陸軍軍人に準じる扱いを受けた
朝鮮軍人の将校は、日韓併合の1910年から1920年まで旧韓国軍時代のままの階級を用いた。)。
当初は、
兵科分類は階級名称においても反映され、佐尉官では「陸軍○○大尉」(歩兵・騎兵・砲兵・工兵・憲兵など)と区別された。後に将校相当官が各部将校に改められるに伴い、衛生部・経理部といった
各部等でも同様の階級名が用いられるようになる。更に昭和15年には兵科が廃止され、
憲兵科と各部将校を除きいずれの兵科も階級の前に称していた兵科名を廃し単に「陸軍大佐」のように称した。
将校になるには
中学校や
陸軍幼年学校を卒業して陸軍士官学校で学ぶのが一般的であった。士官学校卒業後、4ヶ月間の見習士官を経て少尉に任官した。ただし、後に士官学校本科が陸軍士官学校と
航空士官学校に分かれると、航空士官学校は6ヶ月間教育期間が長かったため、見習士官はなかった。他に兵や下士官から選抜された
少尉候補者や甲種
幹部候補生として
予備士官学校を卒業して将校になる者もいた。
太平洋戦争末期の歩兵部隊における幹部候補生出身の将校の比重は、
師団の急増とともに高まっていった。
最終的な将校の官等表は次の通りである。