千葉市に生れる。生家は、代々下総佐倉藩の城代家老を務め、父
渡辺暢は、東京帝国大学(現・
東京大学)法科を卒業して司法官になり、千葉地方裁判所長を務めていた。後に、朝鮮大審院長、高等法院長を経て、貴族院議員になった。
1899年、母方の伯父で東京帝国大学で国際法を教えていた
寺尾亨の養女となる。養父母からは外交官夫人になるよう期待され、
1907年、学習院女学部を卒業後、仏英和女学校(現・
白百合学園高等学校)でフランス語を学ぶ。
1909年、輸入業者のモスクワ支店長の河野通久郎と結婚し、
モスクワへ行く。