1858年(安政5年)、元
下総佐倉藩の家老職で、代々城代を勤めた家柄に生まれる。
東京帝国大学法科へ進む。後の
法学者、
寺尾亨は東京帝大の同窓で親友、その妹、達子と結婚した。卒業後、司法官になり、千葉、仙台、横浜、東京の
地方裁判所の所長を歴任した。その後、朝鮮
大審院の院長、日韓合併後は朝鮮
高等法院の院長を勤める。高等法院長時、
三・一独立運動の指導者らを裁く。被告達は
反乱罪で起訴されたが、裁判官らはこれを
騒擾罪として軽刑に処したことが八十年後の今日評価されることになる。 1923年(大正12年)4月26日、
勲一等瑞宝章受章。定年後の1924年(大正13年)1月、貴族院議員に勅撰された。