戦後、電力不足は深刻であった。
空襲によって多くの発電施設がダメージを受け、さらに
1944年(昭和19年)の「決戦非常措置要領」発令によってほとんどのダム事業が中止となり、新規の水力発電計画はストップしたままであった。このため断続的な停電が繰り返され治安への影響が懸念されていた。当時電力行政を管掌していた
商工省は
只見川を始め多くの河川で新規電源開発計画を進めていたが、
1951年(昭和26年)に
日本発送電が
過度経済力集中排除法の指定を
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)から受けたことで「
電力事業再編令」が施行され分割、九
電力会社が発足したものの企業としての経営基盤が脆弱だったことで思うような大規模電力開発はままならなかった。