1885年に
脚気病原菌説を発表するが、ドイツ留学中の北里がこの学説に批判する。現在では北里の批判が正しかったことが分かっているが
[http://www.isc.meiji.ac.jp/~sano/htst/History_of_Science/historical_examples01.htm]、この事件によって、北里は東大の医学部と対立しつづけることになる。
赤痢研究や後述の
ペスト菌でも二人の研究は対立しあい、研究面で何かと対決することの多かった二人だが、私生活では晩年まで二人の交流が続き、緒方の
葬儀では北里が
弔辞を述べている
[http://www.saiki.tv/~miro45/kitazato.index.html]。