自由と民主主義の内容を「
生存の自由」「
政治的市民的自由」「
民族の自由」という3つに分け、まず、日本の現状はこの3つの自由が危機に瀕していると規定する。ついで、日本共産党や
共産主義者は日本史において、この3つの自由の先進的な擁護者であったとする。また、「科学的社会主義」(
マルクス主義)において、本来、自由と民主主義はどのように扱われてきたかをのべ、
ソビエト連邦などの事態がそこからの逸脱であることを示唆する。これらの叙述をうけて、日本共産党が民主主義革命の段階においても、
社会主義・
共産主義の段階においても、3つの自由に代表される自由と民主主義を擁護・発展させるという立場を宣言する。
1970年代初頭に入ると、それまで展開してきた
高度経済成長の歪みとして、
公害問題や各地で市民運動が高揚した。そして、左派(=
革新)勢力がこれに便乗する形で力を強めた。これにより、日本共産党やかつての
日本社会党などが各地で支持を集め、多くの
革新自治体が生まれた。これとともに
社共共闘と
革新統一も進み、当時盛んに言われてきた
民主連合政府という構想が台頭した。これに対し、
自民党や財界などは、
マスコミ等において「自由社会を守れキャンペーン」を展開し、『
共産主義=
左翼の
全体主義』という図式として、共産党や左派勢力を削ぐことに傾注した。また対外的には、
ソ連や
中国における一党独裁政権下による人権蹂躙が横行するなかで、この文書は、そのような動きに対抗する形で作成された。内容からして、
民主連合政府構想を樹立するため、日本共産党の政治路線をアピールするものであった。
内容は「路線転換などではなく、61年綱領以来の路線の総決算として出したものである」と言っている。ソ連の流れをくむマルクス主義においては、近代民主主義を「ブルジョア民主主義」、革命以後の民主主義を「プロレタリア民主主義」として、両者の断絶と飛躍を強調し、前者の価値を軽くみるものが多かったが、日本共産党のこの宣言は、マルクス主義が近代民主主義そのものの擁護者であり、その発展と継承をするという点を強調している。